地震以降に気になったままいた仙台にむかった。福島県富岡町の原発付近で被災したため、仙台の地震もどんなにすごいのかが想像できた。
交通機関が整う前だった為、フランスから緊急帰国した坂口さんを同乗しての仙台入りだった。都市計画の家2を先に見てから向かうつもりで立寄ると、正面のガラス戸が全て外れて内側のブラインドの金具に引っかかる状態で止まっていた。
2時間の作業後先生の家に向かったが、途中に幾つかの人の行列を目にした。
水の出ない場所の給水、灯油、米、野菜の数量制限付きの販売新鮮な日保ちする果物も不足していて、あらゆる店舗が閉まっていた。
電話が繋がらなかった為、陣中見舞いは突然のインターホンからだったが、近江先生の姿が玄関に近づくのが見えた、元気そうにいつもの笑顔で一安心。
臨場感ある先生の説明は、家が壊れると思う程長く揺れた事、書庫の本が全部飛び出してしまい、はじめが天窓から侵入してやっと入れた事、仙台市街地のこれからの心配、日本の先行き、先生の体調の事等、近江先生健在を自分の目で確かめる事が出来た。
山形で給油を2000円限定で2時間並び帰宅となった。
(文責 芳賀沼整)