Photo by Shinkenchikusha 南側立面。スロープが続く。
Photo by Shinkenchikusha リビング・ダイニングから広縁の方を見る。改修前は縁側があり外部と60cm程度の段差があったが、緩いスロープにより1階と外部が連続するようにしている。ワークショップやお茶会などのイベントが開かれる際にはリビング・ダイニングに人が集まる。
Photo by Shinkenchikusha
Photo by Shinkenchikusha 一室空間としたリビング・ダイニング。2階は構造体のみ残し吹抜けとしている。
Photo by Shinkenchikusha 和室の建具、欄間、床柱には改修前に使用していた部材を再利用している。
Photo by Shinkenchikusha 南西側から見る全景。福島の原発避難解除地区である南相馬市小高区における住宅の改修。建主は仮設住宅から元の住まいに戻る際に、元の家と同じかたちで、2階をなくし以前の半分の広さの住宅を望んでいたため、終の住処としての減築された住宅となった。
原発限界集落の復帰
福島県の原発避難を続ける人たちに対して、新たな住宅を設計する。これまで行ってきた従来の設計と、個人が不動産のひとつとして家屋を所有するという点で基本的な考えは同じだが、故郷に戻れなかった時間を共有する彼らの悲しみの大きさは計り知れない。 原発避難後に新築する住宅の多くは、避難期間中のストレスや欲求から、広さや機能が元の住まいを超える場合が多い。建主は、以前の家と同じかたちで、2階をなくし、以前の半分の広さを求めたことと、帰還を迷う住民が大半である中、「避難区域が解除になったら、たとえひとりでも戻る」という変わらない意思に、私自身が最後まで寄り添いたかった。
福島第一原子力発電所から30km圏内で解体した廃棄材料を処理する作業には数年待たなければいけないという現実に対し、新築ではなく、改築により復帰を目指すことになった。既存の住まいの状況をひとつひとつ施主と確認しながら進めていく中で、1・2階の床と天井の撤去だけを大工が行い、耐震化、断熱化、終の住処としての完全バリアフリー、白蟻処置などがテーマとなり、それが2階の床をつくらない「終の住処」を目的とした減築へと繋がっていった。最後に1度は撤去した隠居跡に、南相馬市へと合併する前の旧小高町町史などを保管する書庫をつくり、「逆戻しの家」のコマ戻しが完成した。